長女の高校の卒業式がありました。
こういう節目の日って、行く前は意外と普通なんですよね。
朝起きて、久しぶりにスーツを出して、ネクタイを探して、少しバタバタして。
「あれ、ベルトどこだっけ」
「この靴、まだ履けるかな」
そんな現実的なことで頭がいっぱいになる。
でも、学校へ向かう道を歩いているうちに、少しずつ気持ちが追いついてきました。
ああ、もうこの道を通ることも、ほとんどないのかもしれない。
入学式、文化祭、三者面談。
親としてこの学校に来た回数は、娘本人に比べれば本当に少ないです。
それでも、駅から学校までの道には、なぜかこちら側の思い出も残っている。
不思議ですね。
第一志望ではなかったけれど、ここから始まる
受験については、正直に言うと複雑な気持ちもあります。
第一志望の大学には届きませんでした。
親としては、できれば受かってほしかった。
これは綺麗ごと抜きで、そう思います。
でも、希望していた学部には進むことができました。
だから「残念」と「よかった」が、同じ場所に並んでいる感じです。
こういう感情って、なかなか一言で整理できません。
「おめでとう」と言いたい。
でも「もう少し頑張れたんじゃないか」とも思ってしまう。
そして、その自分の小ささに、少し反省する。
親って面倒ですね(笑)
受験が終わった娘は、家でかなりのんびりしています。
こちらとしては「新生活の準備は?」「大学のこと調べなくていいの?」と思ってしまう。
でも、本人にしてみれば、ようやく緊張から解放された時間なんでしょう。
たぶん、親が思う以上に疲れていたのだと思います。
もちろん、ずっとゴロゴロされると、こちらの眉間も少し動きます。
ただ、その姿も含めて、18歳なんですよね。
完璧に自立していたら、それはそれで寂しい。
体育館で、急に18年前へ戻された
卒業式そのものは、最初から泣くような感じではありませんでした。
体育館は少し寒くて、椅子は硬くて、式次第はきちんと進んでいく。
校長先生の話、来賓の挨拶、卒業証書。
大人としては、つい段取りを見てしまいます。
「マイクの音、少し小さいな」
「この進行、かなりスムーズだな」
そんなことを考えてしまうのが小市民です。
ところが、娘たちが入場してきた瞬間、急に時間が巻き戻りました。
18年前、娘が生まれたときのことを思い出したんです。
生まれてすぐ、なかなか泣かなかったこと。
こちらは勝手に焦っていたのに、医師や看護師さんたちは落ち着いていたこと。
そして、ようやく大きな声で泣いてくれたときに、心底ホッとしたこと。
あの小さかった人が、制服を着て、前を向いて歩いている。
それだけで、何かもう十分だなと思いました。

子どもは、親の予定表どおりには育たない
親になる前は、子育てをもう少し計画的なものだと思っていました。
こう育てれば、こうなる。
こう声をかければ、こう変わる。
そんなふうに、どこかで考えていた気がします。
でも実際は、まったく予定表どおりには進みません。
言ったことを聞かない日もある。
こちらが良かれと思って言ったことが、ただの小言になる日もある。
本人が頑張っているのか、逃げているのか、親には判断がつかないこともある。
そしてたぶん、親が見えているのは子どもの一部だけです。
学校でどんな顔をしていたのか。
友達の前でどんなことを話していたのか。
受験期にどんな不安を抱えていたのか。
全部は分からない。
分からないから、親はつい口を出したくなる。
でも、分からないからこそ、少し信じるしかない。
これが難しいんですよね。
仕事なら、進捗表を作って、課題を洗い出して、次のアクションを決めればいい。
でも子育ては、そういう管理だけでは進まない。
相手はプロジェクトではなく、人間です。
この当たり前のことを、卒業式のような節目で改めて思い知らされます。

ここまで育ったこと自体が、もうすごい
正直、親として不満がゼロかと言われれば、そんなことはありません。
もっと勉強してほしかった。
もっと早く準備してほしかった。
もっと自分の将来を真剣に考えてほしかった。
そう思う場面はあります。
でも、卒業式の日に一番強く残ったのは、そういう不満ではありませんでした。
ここまで健康に育ってくれたこと。
高校生活を最後までやり切ったこと。
次の場所へ進もうとしていること。
それだけで、十分大きなことなんですよね。
普段は忘れがちですが、18年って長いです。
熱を出して心配した日もある。
なかなか寝なくて困った日もある。
反抗的な言い方に、こちらがムッとした日もある。
でも、それらを全部通り抜けて、卒業式の日を迎えた。
そう考えると、親の仕事は“立派に完成させること”ではなく、“途中で投げ出さずに見守り続けること”なのかもしれません。
完成なんて、そもそもないんでしょうね。
子どもも親も、ずっと途中。
これからの心配は、たぶん形を変えるだけ
卒業式が終わると、少しホッとしました。
でも、すぐに別の現実がやってきます。
大学の費用。
新生活の準備。
通学。
人間関係。
将来の進路。
心配は終わりません。
たぶん、親の心配は卒業と同時に消えるのではなく、形を変えて続いていくものなんでしょう。
小学生のころは「ちゃんと帰ってくるかな」だった心配が、高校では「進路は大丈夫かな」になり、大学では「自分でやっていけるかな」になる。
心配の中身が変わるだけで、親の落ち着かなさはあまり変わらない。
困ったものです(笑)
でも、その心配があるということは、まだ関われる距離にいるということでもあります。
少しずつ離れていくのは寂しい。
でも、離れていかないと困る。
親の気持ちは、いつも矛盾しています。
まとめ:おめでとう、そしてこちらもお疲れさま
長女の卒業式を終えて、改めて思ったことがあります。
子どもの成長は、親の思い通りにはなりません。
期待もするし、心配もするし、ときには腹も立つ。
それでも、節目の日に振り返ると、最後に残るのは「ここまで育ってくれてありがとう」なんですよね。
第一志望ではなかったことも、受験後にのんびりしていることも、これからの費用の現実も、もちろん消えるわけではありません。
でも、その全部を抱えたままでも、卒業はやっぱりおめでたい。
娘へ。
高校卒業、おめでとう。
これから先、思ったよりうまくいかないこともあると思う。
でも、自分で選んだ道を、自分の足で進んでいってほしい。
そして親としての自分にも、少しだけ言っておきたい。
18年間、お疲れさま。
まだ終わりではないけれど、とりあえず一区切り。
今日はそれでいい気がします。


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