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『シン・仮面ライダー』を観たら、改造人間より普通に生きる方が難しい気がしてきた

映画・ドラマ

映画『シン・仮面ライダー』を観直しました。

最初に観たときは、変身シーンとか、サイクロン号とか、怪人の造形とか、そういう「うわ、かっこいいな」の部分にかなり引っ張られていたんですよね。

でも、時間を置いてから思い返すと、残ったのはそこだけじゃなかった。

むしろ強く残ったのは、本郷猛のしんどそうな顔でした。

改造人間になって強くなる。
ヒーローとして戦う。
悪を倒す。

言葉だけ並べると王道なんですけど、この映画の本郷は、そこまで気持ちよく「正義の味方」になってくれない。強いのに、ずっと痛そう。戦えるのに、ずっと迷っている。

そこが妙に刺さったんですよ。

たぶん小市民的には、世界を救うより先に「明日の予定どうしよう」とか「この服で行って大丈夫かな」とかで悩むので(笑)

改造されたら、たぶん3秒で泣く

改造手術台のような場所を想像して青ざめるキョウと、横でミラが「ムリムリ」と全力で手を振る

いきなり拉致されて、勝手に体を変えられて、気づいたら普通の人間ではなくなっている。

いや、冷静に考えると怖すぎます。

本郷猛はその現実を受け止めて戦い始めるわけですが、もし自分だったらどうか。

無理です。

たぶん説明を聞く前に泣く。
なんなら「一回、家に帰ってから考えていいですか」と言う。
そして帰ったら布団に入って出てこない。

ヒーローものって、変身した瞬間に強くなる楽しさがあります。でも『シン・仮面ライダー』は、変身のかっこよさと同時に、戻れなさをちゃんと置いてくる。

そこが重い。

人は変わりたいと思うことがあります。強くなりたい、役に立ちたい、誰かを守れる人になりたい。でも、本当に変わるというのは、今までの自分の一部を手放すことでもある。

本郷の強さは、単にパンチ力があることではなくて、その「戻れなさ」を抱えたまま、前に進んでしまうところなんですよね。

SHOCKERの怖さは、優しい顔をしているところ

「幸福」と書かれた巨大な看板の裏に黒い配線が伸び、キョウが疑いの目で見上げ、ミラが看板の明るさに一瞬だまされかけている

SHOCKERは、ただの悪の組織として見るとわかりやすいです。

でも、この映画の怖さは、SHOCKERが「世界征服したいです」と雑に叫ぶだけの存在ではないところにあると思います。

彼らは「幸福」を語る。

人間の苦しみをなくす。
よりよい世界を作る。
弱い人を救う。

言葉だけなら、むしろ良いことを言っているように聞こえる。

でも、そのために本人の自由や違和感や弱さを踏みつぶすなら、それはもう優しさではないんですよね。

ここ、けっこう現代っぽい怖さがあります。

「あなたのためです」
「こっちの方が効率的です」
「みんな幸せになります」

そう言われると反論しづらい。でも、その言葉の奥に「あなた自身の選択はいらないよ」が混ざった瞬間、急に息苦しくなる。

小市民としては、壮大な幸福より、まず自分で晩ごはんを選ぶ自由を守りたいわけです(笑)

本郷とルリ子の距離感が、やたら静かに刺さる

本郷のように黙って歩く影を背景に、キョウとミラが少し距離を空けて並び、吹き出しなしで互いを気にしている

本郷猛と緑川ルリ子の関係は、わかりやすく甘くはないです。

ベタベタしない。
説明しすぎない。
感情を大声で叫ばない。

だからこそ、ちょっとした表情や沈黙が残る。

これ、個人的にはかなり好きでした。

人との距離って、近ければいいわけでもないんですよね。近づきすぎるとしんどいし、離れすぎると届かない。そのちょうどいい距離を探しながら、お互いの痛みを少しだけ預かる。

本郷とルリ子の関係には、その不器用さがある。

キョウ的には、ああいう「言わないけど伝わっている」関係に憧れます。
現実では、言わないと普通に伝わらないことが多いですけどね。そこは映画と生活の差です(笑)

でも、言葉にしない優しさが全部ダメなわけじゃない。
相手の沈黙を急かさず、隣で同じ方向を見る。そういう優しさも、たしかにある。

2号ライダーが出ると、孤独の意味が変わる

暗い道を一人で歩くキョウの前に、明るいミラが横から走ってきて並ぶ。背景に2本の光の軌跡

一文字隼人が出てくると、空気が少し変わります。

本郷が背負っていた孤独が、急に「分けられるもの」になる。

ここが好きなんですよね。

孤独って、誰かが隣に来た瞬間に消えるわけではありません。性格も過去も痛みも、全部がきれいに解決するわけじゃない。

でも、「同じ方向に走ってくれる人」がいるだけで、孤独の形は変わる。

一人で戦うしかないと思っていたものが、二人で耐えられるものになる。

この差は大きい。

仕事でも家庭でも、たぶん同じです。全部を誰かに代わってもらうことはできない。でも、横に立って「それ、きついよね」と言ってくれる人がいるだけで、踏ん張れる日がある。

ヒーロー映画なのに、そんな生活感のあることを考えてしまいました。

まとめ:変身できない普通の人にも、守れるものはある

『シン・仮面ライダー』は、特撮のかっこよさを楽しむ映画でありながら、かなり静かな人間ドラマでもあります。

強くなること。
自由を奪われること。
誰かを守ること。
孤独を抱えたまま進むこと。

そういう重いテーマが、バイクのエンジン音と一緒に走っていく。

小市民としては、改造人間にはなれません。たぶん変身ポーズの途中で腰をやります。

でも、誰かに少し優しくすることはできる。
相手の孤独を全部救えなくても、横に立つことはできる。
大きな正義ではなくても、今日の小さな選択を少しだけ誠実にすることはできる。

この映画を観た後、そんな「変身しないヒーロー」みたいなことを考えました。

派手に世界を救えなくても、普通に生きるだけで結構大変。
だからこそ、普通に生きながら誰かを少し守れる人は、ちゃんと強いんだと思います。

映画『シン・仮面ライダー』作品情報(映画.com)

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