どうも、キョウです。
今日はちょっと甘い話をしようと思うんですよね。
糖分の話じゃなくて、「概念として甘い」やつ。
そう、パフェ。
あの縦長グラスにこれでもかと詰め込まれた、小市民の夢と欲望の集合体ってわけです。
まず名前からしてズルくないですか?
フランス語の Parfait(パルフェ)。意味はなんと――完璧。
いやいや、ちょっと待ってくれと。
自分で「完璧です」って名乗るの、相当な覚悟いりますよ?
普通なら怖くて無理ですって。せいぜい「まあまあです」とか言っておく(笑)。
でもパフェだけは胸を張って言い切った。
「私は完璧です」と。
しかも、見れば見るほど、その自己申告がだんだん信じられそうになってくる。
グラスの中に層が重なっていて、上にはミントの緑、下にはコーンフレークの茶色。
真ん中ではフルーツとアイスが、ちょっとした宴会みたいに並んでいる。
眺めているだけで、なんかこっちが背筋を伸ばしちゃう感じ、あるんですよね。
ということで今日は、この「完璧」を名乗ったデザートの正体を、のんびり追いかけてみたいと思うわけです。
完璧を名乗ったデザートの正体
そもそもパフェって、いつどこで生まれたんでしょう。
一般には、19世紀フランスで誕生した冷菓がルーツとされているんですよね。諸説ありますが、19世紀の終わり頃にレシピが文献に登場する、というのが比較的よく語られる説だったりします。
ただし、今みたいなグラス盛りじゃないんです。
当時のパフェは、型に流して凍らせた、ムースっぽい冷たいお菓子だったと言われている。
イメージとしては、アイスとババロアの中間みたいなやつ、と思ってもらえれば近い気がします。
特徴は、卵黄と生クリームをたっぷり使って、口当たりがとにかくなめらかなこと。
当時の主流だったシャーベットと比べると、明らかにリッチで、ちょっと貴族っぽい雰囲気のデザートだったわけです。
そこで言われたわけです。
「これ以上いじる余地がないくらい完成度が高い」
→ だから「完璧(パルフェ)」と。
うん、理屈は分かる。
分かるんですけど、ここで「じゃあ完成。終わり!」とならないのが、人間とデザートの面白いところだったりするんですよね。
完璧って言ってもらえたら、普通そっとしておくでしょ?
でも人類は、そこから平然と次のいじり方を考え始めるわけです。
アメリカで始まった「完璧の分解」
そのフランス生まれの完璧デザートが、海を渡ってアメリカに上陸する。
ここで運命がぐにゃっと曲がるんですよね。
20世紀初頭のアメリカは、ソーダ・ファウンテン文化が花盛り。
炭酸水とアイスとシロップを店頭で組み合わせて、若者たちがワイワイしていた時代だったりします。
その流れの中で、パフェは背の高いグラスに、層として積み上げられるようになっていく。
アイス、フルーツ、ソース、ホイップクリーム、シリアル。
横から見ると、もはや地層。
理科の教科書に載っていてもおかしくない見た目です。
ここで一回、冷静になって眺めてみたいんですよね。
だってフランスでは「これ以上手を加えられない完璧」って言ってたわけです。
それをアメリカ人は、わざわざ分解して、順番に積み直して、客に食べさせている。
しかも食べると、上から順にどんどん崩れていく。
スプーンを入れた瞬間、生クリームが沈み、ソースが顔を出し、アイスが少しだけ歪む。
完璧、すでに壊れてるじゃん(笑)。
でも面白いのは、その「壊れていく感じ」を、誰も悲しまないってこと。
むしろ「うわ、混ざってきた」「ここからが本番だな」みたいに、ちょっとワクワクしている。
完璧の定義が、いつの間にか「形」から「体験」にスライドしている、とも言える気がするんですよね。
日本で加速する「盛り」という欲望
そして我らが日本。
ここでパフェは、もう一段、別次元へジャンプします。
季節のフルーツ山盛り、抹茶のソフトクリーム、わらび餅、白玉、あんこ。
ポッキーが刺さり、ウエハースが突き立ち、ミントが旗のように飾られる。
ご丁寧に金箔まで載っていることもある。
もうね、デザートというより建築物。
喫茶店のメニュー写真を見て、「これ、椅子に座って食べていいやつ?」って確認したくなる瞬間、ありませんか(笑)。
日本のパフェの面白さって、季節とご当地と「盛り」の文化が、全部一つのグラスに同居しているところだと思うんですよね。
春は苺、夏はマンゴーと桃、秋は栗とぶどう、冬は焼き芋や柿。
旅先に行けば、夕張メロンパフェ、十勝の生クリームパフェ、京都の抹茶パフェ。
気づけば、パフェを食べに旅をしている自分がいる、みたいなことが起きる。
しかもここ最近は、「シメパフェ」なんて文化も札幌から広がっていると言われている。
ラーメンでシメるんじゃなくて、パフェでシメる街がある、というだけで、もう一段、業の深さを感じるわけです。
ちなみに、いざ目の前に置かれた瞬間、本当に困るんですよね。
正直、最初の一口を入れるまでが、人生で一番緊張する。
どこから壊す?
どこを裏切る?
ミントから? いやでもミント先に倒すと、なんかその後ずっと寂しい絵面になる気が……。
あの一瞬、人生で一番慎重な判断してる気がするんです。
仕事の決裁書に判子を押すときより、明らかに迷っている(笑)。
なぜパフェは「層」なのか
ここで少しだけ真面目な話を挟ませてください。
パフェの層って、ただ見た目を派手にしているだけじゃない、という見方があるんですよね。
上は冷たくて甘い。
途中で果物の酸味がやってきて、
下に行くほどクッキーやコーンフレークが現れて、さっぱり食感に変わっていく。
食感も、なめらか → サクサク → ぷるん。
温度も、キンキン → だんだん常温寄り。
味の濃さも、こってり → さっぱりへとシフトしていく。
これって、全部飽きさせないための設計だと言われているんですよね。
人間の味覚は、同じ刺激が続くと、わりとすぐに反応が鈍くなるとされている。
だからパフェは、ひと口ごとに違う表情を見せて、最後まで「次が気になる」状態をキープしているわけです。
ここまで来てふと思うんですよ。
「完璧」って、「最高の一点」を作ることじゃなくて、
変化し続けても破綻しないことなのかもしれない、と。
たとえば仕事のチームでも、同じやり方をずっと続けて静止しているところより、
少しずつメンバーや段取りが入れ替わりながら、それでも崩れない方がよっぽど強い気がする。
パフェの層を見ながら、なぜか部署運営の話を考えてしまうあたり、もう完全に職業病ですね(笑)。
サンデーとの違い問題
ここで、よく聞かれるやつにも触れておきたいんですよね。
「パフェとサンデーって何が違うの?」問題。
ざっくり整理するとこんな感じ。
- サンデーは、アイスの「上に乗せる」スタイル。
- パフェは、グラスの「中に積む」スタイル。
サンデーは平面的で、上から見たときの可愛さが主役。
一方パフェは、断面で勝負する縦の世界。
横から見て美しくないと、そもそも成立しないわけです。
もう一個、決定的な違いがあって。
サンデーは、わりとどこから食べてもだいたい同じ味。
でもパフェは、上から食べる順番までデザインされている。
上の方は冷たく甘く、底の方はさっぱりや香ばしさで締める。
つまりパフェは、食べる順番までデザインされたデザートだったりするんですよね。
そう考えると、もう完璧を名乗ってもギリギリ許してあげたくなる。
時間軸まで設計してるデザート、なかなかないですって。
それでも完璧は完成しない
ここからが、ちょっと面白いところで。
「完璧」って名前を持ちながら、
パフェは今も進化し続けているわけです。
締めパフェ、酒パフェ、ヴィーガンパフェ、抹茶しか勝たんパフェ、低糖質パフェ。
気づけば「健康診断の結果を気にする大人パフェ」みたいなジャンルまで出てきている。
完璧って、本来なら、完成した瞬間にゴールテープを切って終わるはずなんですよ。
でも、誰一人として「もう完璧だから新作はやめましょう」とは言わない。
パティシエも、客も、SNSのタイムラインも、「来年はどんなパフェが出るかな」って当たり前のように待っている。
たぶん人間は、
「完璧」という言葉そのものに、永遠に満足できないんですよね。
だからこそ、「これで完成」と言われたものを、わざわざちょっとずらして、新しい完璧を作りたくなる。
だから今日も、
完璧を名乗るグラスを、
嬉々としてスプーンで破壊する。
そして崩した断面を写真に撮って、「うわ、ヤバい、最高」とか言っている。
完璧を壊して笑っている時間が、いちばん幸せだったりするのが、人間の面白いところだと思うんですよね。
まとめ:完璧は壊してこそ美味い
パフェって、結局のところ、
人間が「完璧」という届かない理想に、
甘く、冷たく、何度も挑んできた痕跡なんじゃないかと思うわけです。
一口食べるたびに層が混ざって、秩序が崩れていく。
でも、それが楽しい。
むしろそこを楽しむために、わざわざ「完璧」って名前にしているとすら思える。
完璧は、守るものじゃない。
壊して、混ぜて、自分の口の中で再構成していくもの。
そう考えると、なんだか日常もちょっと気が楽になるんですよね。
完璧な仕事なんて、たぶん存在しない。
完璧な家事も、完璧な子育ても、たぶんない。
でも、毎日その日なりに「ここまで積めたな」って層があって、誰かが一口入れてくれる瞬間がある。
それで十分、なんじゃないかなと。
……とか偉そうに言いつつ、
こちらは今日も、メニューの中で一番安いパフェを頼んでしまうんですけどね(笑)。
完璧には全然届かないけど、
まあまあ幸せ。
たぶん、それで十分なんですよね。



コメント