先日、駅前の大きな交差点で信号待ちをしていたときのこと。ふと、向こう側の横断歩道から「カッコー、カッコー」と聞こえてきたんですよね。で、信号が変わった瞬間、今度は別の方向から「ピヨピヨピヨ」と鳴き始めて。
「あれ、同じ交差点なのに音が違うの?」
(マジで?)と思って立ち止まって、何回か信号が変わるのを観察してしまいました(完全に不審者)(笑)。
そういえば、カッコーとピヨピヨ、どっちも聞いたことはあるけど、なんで音が違うのかとか、どういう使い分けをされているのかとか、正直ぜんぜん知らなかったんですよね。ただの「鳥っぽい音」くらいにしか認識していなかった。
でも、調べてみたら、あの音はただの装飾でもBGMでもなくて、まったく別の世界を歩いている人のための「道しるべ」だったわけです。
そして、その仕組みを知ったとき、いつも歩いている街が急に多層的に見えてきて、なんというか、ちょっと感動してしまった。今回はその話を書いてみようと思います。
そもそもカッコーとピヨピヨは何のために鳴いている?

まず基本の話から。
横断歩道の信号から流れるカッコーやピヨピヨという音は、音響式信号機と呼ばれるものから出ています。目的はシンプルで、視覚障害のある方が「今、どの方向の信号が青になっているか」を音で判断できるようにするため、と言われています。
青になったら鳴る。赤に戻ったら止まる。これだけなら音は1種類でも良さそうな気がしますよね。
でも、交差点って十字路が基本じゃないですか。南北と東西、2方向の横断歩道がある。しかも、信号が青になるタイミングは時間差がある。このとき、音が1種類だと「今鳴ってるのは、自分が渡りたい方向なのか、直交する方向なのか」が分からなくなってしまう。
そこで、方向ごとに音を変えるという工夫が生まれたわけです。
一般的には、
- カッコー音 → 幅の広い道路(主道路)や東西方向の横断歩道
- ピヨピヨ音(小鳥のさえずりっぽい音) → 幅の狭い道路(従道路)や南北方向の横断歩道
という使い分けが多いみたいです。地域や運用によって例外もあるそうですが、基本の考え方はこれ。つまり、カッコーが聞こえたら「今は主道路(あるいは東西)が青」、ピヨピヨが聞こえたら「今は従道路(あるいは南北)が青」という情報が、音だけで得られるようになっているんですね。
これ、はじめて仕組みとして理解したとき、「えっ、めちゃくちゃ賢いじゃん……」ってなりました(語彙力)。
「鳥の声」が選ばれた理由も気になる
ここでもう一段、推理好きの血が騒いだんですよね(笑)。
なんで鳥の声なの? ブザーでもチャイムでもよかったはずじゃん、って。
調べてみると、一番大きな理由は音の方向が分かりやすいこと、いわゆる「音源定位」がしやすいことだとか。鳥のさえずりは音の立ち上がりがはっきりしていて、メロディ的なチャイムよりも「どっちから鳴っているか」が耳で判断しやすいそうなんです。視覚に頼らずに街を歩く人にとって、この「音の方向感」こそが命綱になる。
あと、街の環境音に埋もれにくい周波数帯だから、という話もあるそうです。言われてみれば、街でカッコーが鳴いてても「うるさい」とはあまり感じない。ちゃんと計算された設計だったんですね。
通りによって音が違うのには、ちゃんと理由がある

で、ここからが本題です。
観察していると、同じ「カッコー」でも交差点によって微妙に音が違うことに気づくんですよね。早めのカッコーもあれば、ちょっと間延びしたカッコーもある。音の大きさも、場所によってだいぶ違う気がする。
最初は気のせいかと思ったんですが、どうやらこれも仕様として存在しているみたいです。
理由1: 周辺環境に合わせて音量などが調整されている
横断歩道が置かれている環境って、場所ごとにぜんぜん違うじゃないですか。
- 幹線道路沿い → 車の低音がめちゃくちゃ強い
- 商店街 → BGMや人の声でごちゃごちゃ
- 住宅街 → 比較的静か、夜間の騒音配慮も必要
- 駅前 → アナウンスや電車の音が混ざる
このそれぞれで、「どれくらいの音量なら埋もれず、かつうるさすぎないか」が変わってくる。だから、音響式信号機は設置する場所の周辺環境に合わせて、音量などが調整されているそうなんです。
場所ごとに聞こえ方が違うのは、そのあたりのチューニングが入っているのかもしれません。「ただ鳥の声を流せばいい」ではなくて、一台ずつ場所に合わせてセッティングされているというわけ。マジか(マジです)。
理由2: 隣接する交差点と混ざらないように
もうひとつ、これは盲点だったんですが、近い場所に複数の音響信号があると、音が重なって混乱するんですよね。
自分が立っている横断歩道のカッコーなのか、ひとつ隣の交差点のカッコーなのか、視覚に頼れない状況だと区別がつかない。そうすると「今は渡っていいタイミングなのか」が判断できなくなってしまう。
なので、隣接する交差点と音が混ざらないように、音量や鳴動のタイミング、場合によっては押しボタン式にするなどで調整されていると言われています。交差点が密集しているエリアほど、この工夫が効いてくるわけです。
……いや、これすごくないですか?(笑)
私たちが何気なく通り過ぎている交差点には、全部個別の音響設計が入っているってことなんですよ。街全体が、ひとつの巨大な音のオーケストラみたいになっている。
理由3: 「異種鳴き交わし方式」で奥行きを伝える
さらに一歩踏み込むと、これがいちばん面白かったんですが、横断歩道の手前側と向こう岸のスピーカーが、異なる音を約1.5秒間隔で交互に鳴らすという仕組みがあるんです。「異種鳴き交わし方式」と呼ばれているものだとか。
手前で鳴って、少し間を置いて向こう岸で鳴って、また手前で鳴って……というキャッチボールみたいな鳴り方。これによって、「向こう岸がどの方向にあるか」という奥行き情報が音だけで分かるようになっているわけです。左右じゃなくて「手前から向こうへ」の感覚。
この方式、2003年に警察庁が全国に広めるよう通達を出した経緯があって、今では全国約2万基(2024年3月時点)の音響式信号機に採用が進んでいるそうなんです。
音って、ただの通知じゃなくて、空間そのものを伝える道具なんだなあ、と。
私たちは「目で」街を見ているが、「音で」街を視ている人もいる

ここまで調べて、ふと気づいたことがあります。
私たちが普段「街」だと思っているもの——ビルの看板、横断歩道の白線、信号の青、歩道橋、車の流れ——これって、圧倒的に「視覚」情報で構成された世界なんですよね。目に見える風景=街、みたいな感覚がある。
でも、音響式信号機を頼りに街を歩いている人にとっては、まったく別の街の地図が存在している。
- カッコーが鳴っている方向 → 主道路(あるいは東西)の横断歩道
- ピヨピヨが鳴っている方向 → 従道路(あるいは南北)の横断歩道
- 鳴き交わしのリズム → 向こう岸までの奥行き
- 音量や間隔の違い → 交差点の規模や周辺環境
つまり、同じ交差点に立っていても、「見えている街」と「聞こえている街」は、ぜんぜん違う景色なんです。
これ、気づいたときにちょっとゾクッとしたんですよね。
いつも通勤で通っている道。コンビニに行く途中の角。駅前の信号。——これらは全部、自分にとっては「見慣れた風景」だけど、別の誰かにとっては「音で組み立てられた地形」として、まったく違う姿で存在している。
多層的な世界が、同じ空間に重なっている
SFとかで「並行世界」ってよくあるじゃないですか。同じ場所に、別の世界が重なって存在しているやつ。
実はあれ、フィクションじゃなくて、普通に現実で起きているのかもしれない、と思ったんですよね。
- 視覚の世界を歩いている人
- 聴覚で空間を把握している人
- 杖の感触で路面を読み取っている人
- 匂いや風で方向を知る人
みんな、同じ街を歩いている。同じ交差点で信号待ちをしている。でも、それぞれの頭の中にある「街の地図」は、根本的に違う。
同じ空間に、何層もの世界が重なっている。そして、カッコーとピヨピヨは、その複数の世界をそっとつなぐ「翻訳装置」みたいな役割を静かに果たしているのかもしれません。
「当たり前」の裏にある、誰かの設計

もうひとつ、今回調べていて面白かったのは、あのカッコーとピヨピヨの音、全部誰かが「これが最適」と考えて設計した結果だということ。
- 音の種類(カッコーとピヨピヨ)
- 主道路・従道路への割り振り
- 交差点ごとの音量チューニング
- 隣接信号との干渉回避
- 異種鳴き交わし方式による奥行きの表現
これ、全部意図を持って設計された機能なんですよね。偶然こうなったわけじゃない。2003年の警察庁通達のように、「視覚以外で街を把握する人のために、どういう音の仕組みが必要か」を考え抜いて、ひとつひとつ積み上げた結果、今の形になっている。
普段、横断歩道でカッコーを聞いても、「ふーん、信号変わったか」くらいの認識しかしてなかった自分がちょっと恥ずかしい(笑)。
でも、仕組みが分かると、音の聞こえ方まで変わってくるから不思議です。次に交差点に立ったとき、カッコーを聞いたら「あ、今は主道路が青なんだな」「あ、今の鳴き交わしは向こう岸までちょっと距離があるな」とか、つい耳で分析してしまう。(←完全に職業病)
まとめ:「自分の当たり前」は、誰かが作ってくれた配慮の上にある

カッコーとピヨピヨ。たったそれだけの話から、いろんなことが見えてきました。
3つだけ、あらためて振り返るなら——
- 音が違うのは、方向を伝えるため。そして鳥の声が選ばれたのは、音の方向が分かりやすいから。
- 交差点ごとに音が違うのは、環境や混線を考えて一台ずつ調整されているから。街は巨大な音のオーケストラだった。
- 異種鳴き交わし方式は、手前と向こう岸で音を交互に鳴らすことで、「奥行き」まで伝える仕組み。2003年の警察庁通達から全国に広がって、今では約2万基に。
そしてもうひとつ、たぶんこれが一番書きたかったこと。
自分が見ている世界、感じている世界って、あくまで「自分の感覚の中」での世界でしかないんですよね。目で風景を読む人がいて、耳で地形を読む人がいて、杖で路面を読む人がいる。同じ交差点に立っていても、頭の中に広がっている街は、たぶんぜんぜん違う。
どれが正解とかじゃなくて、それぞれの街が、それぞれの人の中にちゃんとある。ただそれだけのことなんですけどね。
次に横断歩道でカッコーが鳴ったら、少しだけ耳をすませてみてください。
それはただの通知音じゃなくて、誰かが今、その音を頼りに街を歩いているという、静かな証拠なんですよね。
見慣れた景色の奥に、見えていなかった街がもう一枚、そっと重なっている。
そう思うと、いつもの交差点も、ちょっと違って見えてきませんか。
また何か見つけたら、書いてみようと思います(笑)。


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