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「おざなり」と「なおざり」、どっちがマシ?って真顔で考えたら、自分の最低ラインが見えてきた話

文化・歴史・自然

「おざなりな対応」「なおざりにする」。

この二つ、口にした瞬間に「あれ、今のどっちだっけ?」ってなりませんか。意味も音もよく似ていて、どっちも要するに「ちゃんとやってない」感じ。会議の議事録にうっかり「なおざりな返信」とか書いて、あとで「それ、おざなりでは?」と直された経験、ある人はけっこういるんじゃないかと思うんですよね。

でも、調べていくうちに気づいたんです。この二語、似ているどころか、実は真逆と言っていいくらい中身が違う。そして、その違いを知ったら「ちゃんとできない日の自分」を、ちょっとだけ許せるようになったんですよね。今日はその話を。

推理: たぶん「やる気のなさの度合い」が違うだけでは?

最初に立てた仮説は、すごく雑なものでした。

「どっちも手抜きの言葉なんだから、たぶん”どれくらいやる気がないか”のメーターの違いだろう」と。おざなりが手抜きレベル3、なおざりが手抜きレベル7、みたいな。要は同じ方向の濃淡だろう、と思っていたわけです。

ところが、辞書を引いてみると、その仮説はあっさり崩れました。二つは「濃さの違い」じゃなくて、「動いたか、動いてないか」という、もっと根本的なところで分かれていたんですよね。これは面白いぞ、と。

おざなり=手は動く/なおざり=放置、の対比図

解明: 「その場をしのいだ」か「放っておいた」か

辞書的な語義を、できるだけ正確に並べてみます。

おざなり = その場しのぎで、いちおう何かはやる

「おざなり」は、いい加減ではあるけれど、その場をとりあえず取り繕うために何かしらの行動はとっている状態を指す、とされています。雑な仕事、形だけの対応。でも、ゼロではない。手は動いている。

語源は諸説ありますが、「御座(おざ)なり」、つまりお座敷の場をその場かぎりで取り繕う形式的な振る舞いから来たと言われています。宴席で、心がこもっていなくても、いちおうそれっぽく場を回す。あの「とりあえず形にする」感じが、言葉の芯にあるわけですね。

たとえば、お客さんが来たけれど時間がない。本当はもっと丁寧にもてなしたいのに、ありものでパッと一品出して場をつなぐ。あれは立派に「おざなり」なんです。でも、お客さんは一応もてなされている。質は低くても、相手にちゃんと”届く何か”が生まれている。ここがミソだと思うんですよね。

なおざり = そもそも手をつけず、放っておく

一方の「なおざり」は、やるべきことに身を入れず、いい加減に放置してしまうこと。こちらは漢字で「等閑」と書くと言われています。「等閑視(とうかんし)する」という熟語、たまに見かけますよね。等閑は和語「なおざり」への当て字とされますが、その「閑」の字面が、手をつけずに置いておく感じと妙に重なるんですよね。

語源は、「なほ(=そのままの状態が続く)」に由来し、そのまま手をつけずに済ませる、という成り立ちの説があるようです(このあたりは諸説ありで、断定はしません)。いずれにせよ、ポイントは手をつけていないということ。

わかりやすいのは、受け取ったメールを「あとでちゃんと返そう」と思ったまま、結局返さずに放っておくケース。返信そのものが発生していない。おざなりが「一行でもとりあえず返した」なら、なおざりは「そもそも返さなかった」。同じ”いい加減”でも、立っている地面がまったく違うわけです。

並べると、向いている方向が逆だった

整理すると、こうなります。

  • おざなり: いちおう手は動いた。ただし、その場しのぎで雑。
  • なおざり: そもそも手が動いていない。放置。

「やる気メーターの濃淡」だと思っていたのに、片方は「下手でもやった」、もう片方は「やらなかった」。0か1かの境界線が、この二語のあいだに引かれていたんですよね。似た音に油断していました(笑)。

ちなみに、語源のほうは前述どおり諸説あって、正直まだ霧の中です。ただ、語源があやふやでも、辞書が示す「行動した/しなかった」の区別そのものははっきりしている。語源の不確かさと、語義の確かさは、いったん切り分けて考えるといいんですよね。

0と1のあいだに線が引かれる瞬間

もう一段深掘りすると: 「おざなり」のほうに、未来が残っている

ここからが、個人的にいちばん刺さったところです。

世間的には、どっちもネガティブな言葉として扱われます。「おざなりな仕事」も「なおざりな態度」も、褒め言葉じゃない。でも、よく見ると「おざなり」には決定的に有利な点が一つだけあるんですよ。

それは、「その場を何とかしようとした形跡」が残っていること。

雑でも、不格好でも、いちおう手を動かした以上、そこには「途中まで進んだ何か」が残ります。後から見返して「ここ雑だな、直そう」と手を入れられる。つまり、次に繋げる足場があるわけです。

対して「なおざり」、つまり放置のほうは、残るものがありません。手をつけていないので、改善のしようがない。気づいたときには、ただ時間だけが過ぎている。次への足場がないんですよね。

この「足場が残るかどうか」、地味だけど効いてきます。たとえば夕飯。本当はちゃんと作りたかったけど時間がなくて、ありもので雑に一皿だけ出した日。これはおざなりだけど、皿は食卓に残っている。「次はもう一品足そう」と次に繋げられる。逆に「ちゃんと作れないなら、いっそ何もしない」と放っておいた日は、食卓に何も残らない。直しようがないんですよね。

プログラムを書くときも、同じ感覚があります。「きれいな設計を思いつくまで一行も書かない」とやっていると、たいてい何も進まない。逆に、汚くてもいいから動くものをいったん書いてしまうと、「ここが汚い、ここを直そう」と手が動き出す。汚くても動くものが手元にあるだけで、次の一歩が踏み出せる。千年前のお座敷の「とりあえず場を回す」知恵と、地続きだったりするわけです(笑)。

要するに、おざなりには形跡という足場が残り、なおざりには残らない。だから次に繋がるかどうかが分かれる——深掘りすると、二語の差はそこに行き着くんですよね。

50点の塊を翌朝の自分が直す/ゼロは直せない

小市民の学び

「おざなり」と「なおざり」は、似た音のくせに、「下手でも手を動かした」か「放っておいた」かという、0と1の境界で分かれていました。どちらも褒められたものではないけれど、形跡が残るぶん、おざなりのほうがまだ次に繋がる。

完璧にできない日って、けっこうあるんですよね。そういう日は「100点か0点か」じゃなく、「せめて、なおざりにはしないでおこう」と最低ラインのほうを決めておく。50点の塊は、明日の自分が直せます。今日の不格好な一手が、けっこう未来を救ってくれたりするんですよね。

こういう「言葉の中身を真顔で比べる」遊び、けっこうクセになるんですよね。同じ調子で身近な雑学をつまみ食いできる一冊があるので、隙間時間のおともにどうぞ。

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キョウの余談

実はこの記事、最初の下書きが自分でも引くくらい「なおざり」で、三日くらい開きもしませんでした(笑)。でも放置してたメモが残ってたおかげで、再開できたんですよね。形跡、大事。

キョウからの次の1本

「くたばる」も、ただの罵倒かと思いきや、語源をたどると「朽ち果てる」という壮大な末路の話だったりします。言葉ひとつで見え方がガラッと変わる感じが、この記事と地続きなので、よかったら。→「くたばれ!」って言うけど、語源を辿ったら罵倒どころか宇宙の真理だった件

次回予告

次は、マンホールの蓋。あれ、なぜ「誰でも開けられない」ように作ってあるのか——街の地下に隠された”鍵”の理由を解いてみようと思います。

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