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日本最初のカレーのレシピに、赤蛙が入っていました(カレーライスのパスポート、イギリス経由でした)

食材と食文化

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金曜の夜は、だいたいカレーです。

玉ねぎを炒めて、じゃがいもとにんじんを煮て、いったん火を止めてルウを割り入れる。かき混ぜていると、さらさらだった鍋の中がとろりと重くなる。この瞬間だけは料理をした気になれるので、けっこう好きだったりします。

そのとろみがついたところで、ふと手が止まりました。

これ、インド料理なんだよな、と。

思い出したのが、少し前に家族で入ったインド料理店です。金属の器に入った、しゃばしゃばしたソース。焼きたてのナン。香りは強いのに、後味は不思議と軽い。

一方、目の前の鍋。じゃがいもの角が少し崩れて、にんじんは甘くなって、白いご飯の隣に福神漬け。

……別の食べ物では?

同じ名前で呼ばれているのが不思議になるくらい、両者は似ていません。じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、そしてとろみ。あれのどこがインドなんだ、というのが、その晩の疑問でした。

推理: たぶん、間に誰かが挟まっている

最初に浮かんだのは、「日本人が勝手に改造したんだろう」という説明です。日本はそういうことをよくやる国ですし、だいたいそれで片付きます。

ただ、引っかかったのは変わりすぎていることでした。

インドのカレーと日本のカレーライスを並べ、共通点の少なさに首をひねるキョウ

香辛料の使い方も、汁の濃さも、主役の具材も、食べ方も違う。改造というより、別物です。伝言ゲームで一人だけ挟んでも、ここまで内容は変わらない。

仕事で何度か経験があります。元の要望が三社くらいを経由して届いた時、原型が跡形もない、というやつ。ああいう時はたいてい、途中に「自分の都合で作り替えた誰か」がいます。悪気があるわけではなく、その人の現場で使える形に直しただけ。

つまり、こうです。

日本人が改造したのではなく、日本人が受け取った時点で、すでに別物だったのでは。

インドと日本の間に、誰かが挟まっている。そう疑って調べ始めました。

解明: パスポートにイギリスのスタンプが押してあった

インドの料理が、イギリスで「商品」になった

挟まっていたのは、イギリスでした。

インドと深く関わっていたイギリスに、現地の料理が持ち帰られる。ここまではよくある話です。面白いのはその先で、イギリス人はそれをあらかじめ混ぜた粉にしてしまいました。

19世紀初頭には、英語に “curry powder”(カレーパウダー)という言葉が定着しています。辞書が拾う古い用例が1810年あたり、市販品の広告となるともっと古くて、1784年にはロンドンの店が新聞にカレー粉の広告を出している。ロンドンのC&B社(クロス・アンド・ブラックウェル)が「C&Bカレーパウダー」を売り出したのも、この流れの中の一社です。

誰が最初だったのかは諸説あります。はっきりしているのは、イギリスでカレーが「瓶で買えるもの」になったということ。

ここ、地味ですがけっこうな発明です。

本来、スパイスはその日その料理に合わせて調合するもの。それを「もう混ぜてあります、瓶ごとどうぞ」にしたわけです。手間を消して、誰でも同じ味を出せるようにする。文化を持ち帰ったというより、文化を商品に翻訳したという感じがします。

そして日本にやってきたのは、インドの料理ではなく、この翻訳版のほうでした。

日本に着いた時点で、もう「西洋料理」だった

日本語の文献にカレーが初めて登場するのは、1860年、福沢諭吉の『増訂華英通語』とされています。

調理法が載ったのは1872年(明治5年)。『西洋料理指南』(敬学堂主人)と『西洋料理通』(仮名垣魯文)の二冊です。

書名をもう一度見てください。西洋料理。

インド料理の本ではありません。当時の日本人にとって、カレーは最初から西洋の料理として届いていた。ここで航路がはっきりします。インド発、イギリス経由、日本着。パスポートには、ちゃんと途中の国のスタンプが押してあったわけです。

証拠は、日本最初のレシピに書いてある

その『西洋料理指南』のレシピが、なかなか強烈でして。

ネギ、生姜、蒜(にんにく)を牛酪(バター)で炒め、水を加えて、鶏、えび、鯛、蠣(かき)、そして——赤蛙等を入れる。仕上げに、水で溶いた小麦粉を加える。

赤蛙(マジで?)。

『西洋料理指南』の材料に「赤蛙」を見つけて二度見するキョウ

しかも「等」です。まだ何か入れてよかったらしい。何を足しても怒られない献立というのは、それはそれで自由でいいなと思います。

なぜそこで蛙が出てくるのかは、正直よく分かりません(当時の翻訳事情なのか、書き手の趣味なのかも含めて謎です)。ただ、はっきり言えることが一つあります。インドから直接伝わっていたら、まずこうはならない。

炒め油がバターで、しかも小麦粉でとろみをつけている。これはインドの台所を見て書かれた文章ではありません。西洋の料理書を通した「又聞きのカレー」だったからこそ、鶏とえびと鯛と牡蠣と赤蛙が同じ鍋に入ることになった。日本最初のレシピは、伝言ゲームの証拠物件でもあります。

そこから先は、わりと順当です。1873年(明治6年)には陸軍幼年学校の土曜の昼食にライスカレーが出ています(当時の生徒だった軍人の回想に残っています)。1905年(明治38年)、大阪の大和屋(現・ハチ食品)が国産カレー粉「蜂カレー」を発売。1930年には日賀志屋(エスビー食品の前身)が家庭用の「ヒドリ印カレー粉」を出します。

「蜂カレー」に「ヒドリ印」。売り込む気があるのかないのか分からない素朴さで、こういう名前を見ると妙に安心してしまいます。輸入品だったものが、少しずつ日本の棚に移っていった時期です。

海軍が広めた、は本当か

……と、ここまで書いて満足しかけたんですが、調べを進めたらもう一段ずれていました。

年表を並べたら、矢印が逆を向いた

日本のカレーの話をすると、必ず出てくるのが「海軍が広めた」という説明です。自分も長いことそう思っていました。

ところが、海軍料理の研究をされている高森直史氏は、この説には根拠がないとしています。

年表を並べると理由がはっきりします。

  • 海軍側に現存する最古の記録 …… 明治41年(1908年)『海軍割烹術参考書』
  • 民間のレシピ本にカレーが載る …… 明治5年(1872年)

民間のほうが36年早い。

「海軍→民間」の矢印が、年表を突き合わせた瞬間に逆向きへひっくり返る図

これだと「海軍が広めた」ではなく、民間ですでに広まっていたカレーを、海軍が後から献立に取り入れた、と読むほうが自然です。しかも軍隊で先に記録に残っているのは、明治6年の陸軍幼年学校のほう。矢印の向きが、思っていたのと逆でした。

念のため書いておくと、これは横須賀の「海軍カレー」を否定する話ではありません。あれは地域が育てて根づかせた立派な名物で、そこに文句をつける気はまったくない。ただ「日本のカレーのルーツ」という肩書きだけは、記録と少し合わないようです。

もう一つ、よく聞くのが「脚気対策として導入された」という話。海軍が脚気を減らすために食事を洋風にしたのは事実で、1884年(明治17年)、高木兼寛の兵食改革で麦飯が入っています。ただ、そこにカレーが名指しで登場する記録は、意外と見当たらないようです。

これ、飲み会で何度か得意げに話した覚えがあります。回数だけは立派に重ねていました。

とろみの出どころは、まだ分からない

もう一つ、覆ったものがあります。

思い出してほしいのが、さっきの赤蛙のレシピです。あそこには水で溶いた小麦粉が入っていました。つまり日本のカレーは、最初のレシピの時点ですでにとろりとしていたらしい。高森氏も、材料に小麦粉があるので今と同じようにとろみのあるカレールーだったとみていて、そのうえで「とろみはイギリス式にはなく、日本人独自のアイデアだといわれる」と書いています。

だとすると、ますます分からなくなるんですよね。イギリスのシチューやフランス由来のルー(roux、カレールウの語源)から来たという説、日本人が工夫したという説、船の上で揺れてもご飯に絡むようにしたという説。並べてみたものの、どれも決め手を欠いています。

はっきりしているのは、カレー粉を商品にしたのがイギリスだということ。とろみのほうは、まだ船の上です。

原典のほうが、先に消えた

最後に、なかなか味わい深い後日談を。

1931年(昭和6年)に「C&Bカレー粉偽造事件」というものが起きています。名前だけ聞くとC&Bが何かやらかしたように読めますが、逆でした。日本の卸業者が、C&Bの缶に安い国産のカレー粉を詰め替えて、高級輸入品として売っていた。警視庁に摘発された、いわばブランドを騙る側の事件です。C&Bは騙られたほうなんですよね。

面白いのは、その先です。

詰め替えられている間、誰も味の違いに気づいていませんでした。しかも事件で輸入品の流通が止まり、店も家庭も仕方なく国産のカレー粉を使うことになる。使ってみたら、これが普通においしかった。

高い缶を買って、中身は国産で、それでも誰も気づかない。あげく輸入が止まったら止まったで、国産の粉で普通に食卓が回ってしまった。翻訳版は、この時点でもう原典に追いついていたわけです。

そして今。C&Bの名前がついたカレー粉は、実は今も日本の棚にあります。ただし中身は現代の別物で、明治の日本が手本にした当時の調合も、それを書き残した資料も、残っていないと言われています。日本のカレーライスの祖先にあたる粉は、もう本を探しても出てこない。翻訳版だけが生き残って、国民食になったわけです。






小市民の学び

鍋のふたを開けたまま、しばらく考えていました。

「本物」という言葉が、少し怪しくなってきたな、と。原典から遠いほど劣化する、と無意識に思っていた気がします。オリジナルが一番正しくて、コピーを重ねるほど薄まっていく、という感覚。でもカレーライスは、インドから離れ、イギリスの商売の都合をくぐり、明治の日本の台所にある材料に置き換わって、それでようやく金曜の夜の定番になった。途中で挟まった誰かの都合は、劣化ではなく別の完成を作ることがあるらしい。

そういえばあのインド料理店で、子どもが金属の器を覗き込んで「これ、カレーじゃないよね」と言っていました。あの子の中の本物は、たぶんうちの鍋のほうです。

その鍋にしても、ルウの箱に書いてある分量どおりに作ったことが一度もない。水は少なめ、玉ねぎは倍。それでも家族はあれを「うちの味」と呼びます。あれも立派な翻訳版でした。

なんて考えていたら鍋が冷めていたので、慌てて火をつけ直しました。二日目のカレーは、初日より少しだけとろみが強い。あの重さは、たぶんインドからここまでの距離のぶんです。

キョウの余談

赤蛙のくだりが気になって、そのあと三十分ほど蛙の食べ方を検索していました。作る気はまったくないのに、なぜか調理法まで読んでしまうやつです。

キョウからの次の1本

「名前の国と、生まれた国が違う」話がもう一本あります。「冷やし中華」が中華料理じゃないって知ってました?仙台の夏の暑さが生んだ、おもてなしイノベーションの話。あちらは経由地すらなく、名前だけ借りていました。

次回予告

ところで、そのカレールウの箱を買うために働いた一時間には、法律で決められた最低額があります。あの金額、いったいどこの誰が、どんな顔で決めているのか。次は会議室のドアを開けてみます。

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