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第1回:脳は本当に10%しか使っていないのか

テクノロジー

「人間は脳の10%しか使えていない」
昔の漫画や映画で、よくこんなセリフが出てきましたよね。北斗の拳しかり、「LUCY ルーシー」しかり。
さらに、「火事場の馬鹿力」とか「極限状態で眠っていた力が目覚める」なんて話もセットで語られがちです。

もし本当に、脳の70%〜90%が普段眠っていて、そこをフル解放できたらどうなるのか。
テレパシー? 未来予知? 机に座ったままサーバールームの配線が頭に浮かぶ超エンジニア?
想像するとちょっとワクワクします。

でも、ここで一回落ち着いて考えてみましょう。
本当にそんな「未使用ゾーン」があるのか。
そして、もしあるとしても「100%フル稼働」が人間にとってプラスなのか。

この第1回では、まずいちばん有名な都市伝説「脳の10%神話」を、最新の脳科学の視点からがっつり解体します。
あわせて、「火事場の馬鹿力」みたいな現象が、実際にはどういう仕組みで起きているのかも、入り口だけ触れておきます。


脳はブラックボックスじゃない:まずはざっくり全体像

「脳ってどうなっているの?」という疑問に答えようとすると、いきなり専門用語だらけになりがちです。
でもここでは、細かい神経伝達物質の名前は一旦置いておきます。まずはざっくり全体像から。

脳は、おおざっぱにいうと次のようなパーツで仕事を分担しています。

部位ざっくり役割日常のイメージ
大脳皮質思考・判断・感覚・運動の中枢会議室と司令塔が合体した「本社ビル」
前頭前野計画、判断、感情のコントロールプロジェクトマネージャー兼メンタルコーチ
海馬記憶の整理と保存ファイルサーバーのインデックス作成役
小脳運動の微調整・自動化裏側で勝手に動いてくれる制御プログラム
大脳辺縁系感情、恐怖、報酬など危険検知システムと「やる気スイッチ」
脳幹呼吸・心拍など生命維持絶対落としてはいけないインフラ基盤

さらに、これらのパーツ同士が「ネットワーク」を組んで、状況に応じてチーム編成を変えながら働いています。
特定の部位だけがポツンと働いているのではなく、「連携プレー」が基本です。





そもそも「10%神話」ってどこから来たのか

有名な割に、「誰が言い出したのか」はかなりあいまいなのが、この10%神話の怪しいところです。

ざっくり言うと、いくつかの勘違いが混ざった結果として広まった説だと言われています。

  • 昔の心理学者・脳科学者が「多くの潜在能力がまだ解明されていない」と言ったのを誤解して広まった説
  • 「一度にフルパワーで働いているニューロンはごく一部」という話を「10%しか使っていない」と勘違い
  • メディアや自己啓発本が「人はまだ能力のほんの一部しか使っていない」とキャッチーに書いた

「脳にはまだ分かっていないことが多い」「潜在能力はある」という話自体は間違っていません。
ただ、それがいつの間にか「90%は眠ったまま」という数字付きの都市伝説になってしまったわけですね。

数字がつくと、一気にそれっぽく見えるのが人間の弱点です。
「10%」というキリの良い数字が、都市伝説としてちょうど良かったのかもしれません。






現代の脳科学が見ている「リアルな脳の稼働率」

では、今の科学で脳の働きはどこまで見えているのか。
ここで重要なのが「脳のどこが、どのくらい働いているか」を可視化する技術です。

  • fMRI(機能的MRI):脳の活動に伴う血流の変化を画像にする
  • PET:脳の代謝(エネルギー消費)を画像として見る
  • EEG(脳波):頭皮から電気信号を測る

こういった技術を使うと、人が何もしていない「ぼーっとした状態」ですら、脳の広い範囲が活動していることが分かっています。
スマホを見ているとき、本を読んでいるとき、誰かと話しているとき、仕事の段取りを考えているとき。
タスクによって「主役になるエリア」は変わりますが、完全に眠っている領域というのは、基本的にありません。

図:タスクごとに変わる脳の「チーム編成」のイメージ

つまり、「一度にフルパワーで働いているニューロンは全体の一部」だが、「何もしていない領域が90%ある」というわけではない、というのがポイントです。






進化の視点から見ても「90%遊んでいる脳」はありえない

もう一つ、シンプルだけど強力な論点があります。
それは「脳って、めちゃくちゃ電気食いの臓器だよね?」という話です。

  • 体重の約2%しかないのに、全エネルギーの約20%近くを消費していると言われる
  • つまり「ものすごくコスパの悪い」臓器でもある

進化の観点からすると、そんな高コストな器官の90%が「遊んでいる」状態を、何十万年も放置しておく理由がありません。
不要なものは、だいたい縮んだり、なくなったりしていきます。
人間の盲腸とか、退化した器官の話はよく出てきますよね。

ところが脳は、むしろここまで巨大化してきました。
ということは、「ほとんどの部分がちゃんと役に立ってきたからこそ、生き残っている」と考える方が自然です。

まとめると、次のようになります。

もし本当に10%しか使っていないなら現実に近い考え方
90%の余計なコストを払い続けているほとんどの領域が何かしらの役割を持って働いている
進化的にかなり不利だからこそ、大きく複雑な脳が維持されている
「使ってない部分」を切っても問題ないはず実際には、少しダメージを受けただけで機能に大きな影響が出る

「10%しか使っていない」と「10%だけがフルスロットル」は別物

ここで、一番混乱を生むポイントを整理しておきます。

脳のニューロン(神経細胞)は、常に全員がフルスロットルで動いているわけではありません。
タスクごとに、必要なネットワークが優先的に活動する。
これは、会社で言えばこんなイメージです。

  • 常に会社全員が全力残業しているわけではない
  • プロジェクトごとに、関係する部署が主に動く
  • ただし、いざというときには、他の部署もサポートに回る

この状況を見て、「この会社は10%しか働いていない」とは言いませんよね。
「全員が常に全力全開」になっていたら、それはそれでブラック企業です。

脳も同じで、状況に合わせて必要なネットワークだけが強く動き、それ以外はサポートに回ったり待機したりしているのが健全な状態です。

逆に言うと、

  • もし全ニューロンが同時にフルスロットルで暴走したら

それは、機能が上がるどころか「てんかん発作」や「異常興奮」に近い危険な状態になります。
映画のように「100%=超能力」ではなく、「100%=システム障害」のイメージに近いわけですね。





「火事場の馬鹿力」は脳の秘密兵器なのか? 入口だけ触れておく

さて、ここまでで「脳の10%神話」はかなり怪しいことが分かってきました。
ただ、まだ気になる現象があります。それが「火事場の馬鹿力」。

普段は絶対に持ち上がらない重さの物を、事故や災害のときに持ち上げてしまった、みたいな話ですね。
これもよく「普段は眠っている能力が解放された」と説明されたりします。

ここでポイントになるのが、

  • 脳は筋肉の「リミッター」も管理している
  • 極度のストレスや恐怖で、そのリミッターが一時的に緩むことがある
  • 同時に、アドレナリンなどのホルモンで身体側も限界までブーストされる

という点です。

これも「脳の未使用部分を開いた」というよりは、脳と身体の安全装置を一時的に外していると考えた方が近いです。
つまり、

  • 普段は体を壊さないようにセーブしている
  • 命の危険があるときだけ、その制限を少しだけ外す

という、生存戦略としてのシステムだと見なす方が、筋が通ります。

このあたりの「リミッター」と「ホルモン」の組み合わせの話は、第2回以降でじっくり扱う予定です。
ここでは、「火事場の馬鹿力=10%神話の証拠」というわけではない、というところだけ押さえておきましょう。





なぜ「10%神話」がここまで広まったのか?

ここからは、第1回の後半戦に入ります。
科学的に見れば「10%神話」は完全に否定されているにも関わらず、なぜこれほどまでに広まり、今も多くの人が何となく信じてしまうのか。
ここには、人間の心理や文化的背景が深く関わっています。

実はこの「10%」という数字、科学よりも人間の希望の方に刺さる数字なんです。


「10%神話」が好まれた3つの理由

理由はざっくり3つあります。しかもどれも、スマホ時代の現代でも普通に当てはまります。

「今よりもっとすごい自分になれる」という夢想が心地いい

これは心理の王道です。
「実はまだ90%の能力が眠っているんだよ」と言われたら、

  • もっと努力すれば、もっと上に行けるかもしれない
  • まだ“余白”がある気がする
  • 自分は他の人より伸びしろがあるかもしれない

こんな気持ちが湧きますよね。
努力には希望が必要、というのは古今東西変わりません。
そして「人はまだ10%しか使っていない」という説は、人に希望を渡しやすい。

その結果、科学とは関係なく、希望の物語として生き残ったわけです。

「数字がつくと信じやすい」という人間の弱点

10%、90%という数字が入ってくると、なんとなく「根拠がありそう」に見えてしまう。
これはバイアス(思考のくせ)の一種で、マーケティングでもよく使われる技法です。

よくある例として、

  • 「利用者の97%が満足!」(対象者が10人でも97%)
  • 「子どもの成長には◯◯成分が重要!」(重要だが摂取量は極少)

こんな感じで、数字が入ると話が“一気にバカにならないように見える”のは人間の脳の仕様です。
脳科学の文脈でも、同じことが起きてしまったわけですね。

映画・ドラマ・漫画にとって最高のネタだった

キョウさんが書いていたように、「北斗の拳」や映画「LUCY」など、フィクション作品では脳の潜在能力がネタとして超便利です。
なぜなら、

  • 科学的に完全に否定されているほど、物語には使いやすい
  • 設定として幅広く応用できる
  • 人間の欲望と直結している(強くなりたい、賢くなりたい)

つまり、フィクション業界にとっては金脈みたいな設定なんです。
そして、フィクションは強烈なイメージを植えつけます。
映画で主人公が「脳の100%を開放する」と、どうしても“それっぽく”見えてしまう。

その結果、現実とフィクションが混ざりやすくなるわけです。





右脳・左脳論との混ざり具合がさらに燃料を投下した

10%神話が広まった背景には、もうひとつ厄介な相棒がいました。
それが「右脳・左脳神話」です。

この神話では、

  • 右脳=直感・創造性
  • 左脳=論理・分析

という極端な分け方がされます。
しかも、「あなたは右脳タイプ」「あなたは左脳タイプ」という占いのような言説まで出てきます。

もちろん、実際の脳はもっと複雑で、論理と創造性は左右の脳をまたいでネットワークとして働いています。
つまり、こんな単純な分け方では語れません。

しかし、この“分かりやすいけど不正確なイメージ”が心理的にハマってしまい、10%神話と「脳のタイプ別理論」がセットで広がりました。

このセットが自己啓発やスピリチュアル業界でもよく使われたことで、さらに人々の頭に定着してしまったわけです。





「脳トレ商法」が追い風になった

ここ10〜20年で爆発的に広まったのが、テレビ番組や書籍、アプリを中心とした「脳トレ」ブームです。

もちろん、脳に良い刺激を与えること自体は悪くありません。
しかし、その一部では、

  • 「使われていない脳を呼び起こす」
  • 「眠っている脳を目覚めさせる」
  • 「あなたの脳はもっと使えるようになる」

など、10%神話を拡張するような表現が使われました。

これが一般の人の記憶に定着し、結果的に「脳には未使用ゾーンがある」というイメージが根強く残ったわけです。


そしてもう一つ:「難しい話を単純化しすぎる」と歪む

脳はあまりに複雑なので、多くの説明は“ざっくり要約”になります。
これは教育の観点でも必要なプロセスです。しかし、単純化しすぎると誤解も生まれます。

脳はコンピューターのように「ON/OFF」で分かりやすいわけではありません。
強さも、頻度も、連携も、複雑に絡み合いながら動いています。

この複雑さを避けるために、単純な比喩として

  • 10%しか使っていない
  • 右脳・左脳が特化している

という分かりやすい説明が選ばれた側面があります。





じゃあ結局、「脳を100%使う」ってどういうこと?

ここまでの話で、「10%しか使ってないわけじゃない」ことは見えてきました。
では、現代の脳科学では「脳をよく使う」とはどういう状態を指すのでしょうか。

ひと言で言えば、

「必要な場面で、必要なネットワークが、ムダなく効率的に働いている状態」

です。

もっと簡単に言うと、

  • 必要なときに必要な力を出せる
  • 不要なときにはきちんと休める
  • 習慣によって自動化できる部分は効率よく自動化する
  • 新しいスキルを覚えるときはネットワークが強化される

つまり、

フル稼働ではなく「最適化」こそが脳の本当の能力

ということです。

脳科学の研究でも、優れたパフォーマンスを発揮する人ほど、「ムダな脳活動」が少ない傾向が確認されています。
強い力を出す代わりに、効率よく最短経路を使っているのです。





脳の本当のポテンシャルは「神経可塑性」にある

脳の“伸びしろ”として科学的に最も重要なのは、未使用ゾーンではありません。
それは神経可塑性(Neuroplasticity)という性質です。

これは、

「経験によって脳の回路そのものが変化する」

という脳の根本的な仕組みです。

脳は固定された器官ではありません。
大人になっても、学習、習慣、環境、経験などで回路が組み変わり続けます。

これがあるからこそ、

  • 新しいスキルが身につく
  • 年齢に関わらず学び直せる
  • リハビリで失われた機能が回復する

といったことが可能になるわけです。

図:神経可塑性のイメージ(回路が経験で変化する)

未使用の“宝箱”があるわけではありません。
しかし、回路を強化する力は誰にでも備わっています。

これこそが、脳の本当の伸びしろです。


ここで、一度「誤解と落とし穴」を整理しておきましょう

脳の話は誤解が多いので、ここで一度整理します。

よくある誤解実際はこう
脳は10%しか使っていないどの領域も何かしら働いている。ただし常にフルパワーではない
右脳・左脳で性格が決まるほとんどのタスクは左右の連携プレーで行われる
脳は固定された器官だ神経可塑性により、大人でも回路が組み替わる
脳は全力で働くほど良い全力=危険。効率よく動くことが重要
火事場の馬鹿力=能力解放脳と身体のリミッターが一時的に解除されるだけ

まとめ

ここまで第1回で扱ったのは、「脳の10%神話」を入り口にして、

  • 脳のほとんどの領域はちゃんと使われている
  • 脳は進化の観点から見てもムダづかいしない構造になっている
  • 「100%稼働」はむしろ危険である
  • 脳に本当に存在する“伸びしろ”は神経可塑性である

という内容でした。

つまり、まとめるとこうです。

「脳の90%は眠っている」のではなく、「脳は常に最適化されて働いている」。

そして、伸びしろは「眠っている部分」ではなく「変われる力」の方にあります。





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