キョウです。
「三面記事」って言葉、なんとなく“事件とかスキャンダルとか、ああいうやつ”って感じで使ってるよね。
でも、あれ。
なんで「三面」なんだ?
三つの面のどれかに載るの? 三つの視点で書くの? 三人の記者が担当するの?
……違います。たぶん、あなたも薄々そう思ってたでしょ。正解はもっと物理的で、もっと人間くさい。
この記事では、
- 「三面記事」が“3ページ目”に由来する理由
- なぜ人は政治より事件を読んでしまうのか(小市民の告白)
- 「三面精神」をブログに転用すると強い理由
このへんを、新聞の歴史と人間の性(さが)を混ぜて、分かりやすくほどいていきます。
まず結論:「三面」は“3ページ目”のことだった
「三面記事(さんめんきじ)」の由来はシンプル。
明治時代の新聞で、事件・事故・スキャンダルなどの“雑報”が第3面に載りやすかったからです。
当時の新聞は、今みたいな分厚い冊子というより、ざっくり言うと「紙を折った数ページ」構成が基本でした。
そこで役割分担が起きる。
- 第1面:広告や題字(新聞の顔)
- 第2面:政治・経済・論説(お偉い話)
- 第3面:事件・事故・ゴシップ・市井の話(人間の話)
- 第4面:広告や連載、雑多なもの
つまり「三面記事」は、概念というより、紙面レイアウトから生まれた言葉なんです。
明治の新聞は“ページの性格”がハッキリしてた
ここで、当時の空気をちょっと想像してみよう。
明治の街。文明開化。電灯が増え、洋服が増え、でも生活は今ほど便利じゃない。
人々が情報を得る手段って、今みたいにスマホで無限スクロールじゃない。新聞が強い。
で、新聞を開く。
第2面には政治や条約や国会や、まあ、重要なんだけど、正直、難しい。
(ぼくが明治にいたら、第2面を見た瞬間に睡魔に負ける自信がある)
ところが第3面。
火事だ、盗難だ、心中だ、詐欺だ、口論だ、近所の揉め事だ、芸能っぽい噂だ。
こっちは分かる。生々しい。生活の匂いがする。
政治は「国家の物語」。
三面は「人間の物語」。
「大新聞」と「小新聞」:三面が育った土壌
当時は新聞にもキャラがあって、ざっくり言うとこんな感じでした。
| 分類 | 主な読者 | 得意分野 | 雰囲気 |
|---|---|---|---|
| 大新聞 | 知識層・政治に関心が高い層 | 政治・論説・外交 | 硬派で“正しい” |
| 小新聞 | 大衆・娯楽も欲しい層 | 事件・雑報・読み物 | 読みやすく“面白い” |
小新聞が伸びた理由のひとつが、まさにこの「雑報」=三面っぽい記事の充実です。
大新聞が“社会の建前”を語るなら、小新聞は“社会の本音”を拾う。
そして本音って、強いんだよね。
人はなぜ「王道(政治)」より「横道(事件)」が気になるのか
ここから、ちょっと嫌な話をします。
嫌というか、耳が痛い話。
政治・経済の記事は大事。
でも、三面記事の方が読まれる。
これ、今も変わってない。
SNSだってそうだよね。政策の解説スレより、炎上やスキャンダルの方が伸びる。
じゃあ、人類はバカなのか?
……いや、たぶん違う。
三面記事って、極端に言うと「自分が明日巻き込まれるかもしれない話」なんです。
- 空き巣 → 自分の家もやばいかも
- 詐欺 → 親が引っかかるかも
- 事故 → 自分も通勤で起こすかも
- 家庭トラブル → うちも他人事じゃない
つまり三面は、生活防衛のセンサーでもある。
人間の脳は、抽象的な“国家”より、具体的な“近所”に反応しやすい。
これはもう、性格というより設計仕様みたいなもの。
そして厄介なのが、三面には「怖い」だけじゃなく「共感」も「優越感」も「好奇心」も混ざること。
三面記事は「下世話」なのか? いいえ、ただ“人間”なだけ
三面記事って言うと、「下世話」「低俗」「品がない」みたいなニュアンスで語られがち。
分かる。分かるんだけど、そこに一つ落とし穴がある。
三面は、人間の弱さが出る場所です。
でも同時に、人間の優しさも出る。
- 誰かを助けた話
- 迷子の子どもが無事見つかった話
- 災害で支え合う話
- 寄付や善意の話
こういう“名もなき人のドラマ”も、本来は三面の匂いがする。
政治の「正しさ」じゃなく、生活の「切実さ」だから。
誤解しやすいポイント:それ、三面じゃなくて三つ巴です
ここ、地味に大事なのでまとめます。
- 「三つの記事」ではない:記事が3本あるとか、重要ニュース3つとかじゃない
- 「三つの面(視点)」でもない:多角的分析っぽい言葉に見えるけど違う
- 「宗教的な三面」でもない:三面大黒天とか、そういう方向でもない
- 今の新聞で必ず3ページ目にあるわけでもない:増ページで配置は変わった。でも言葉は残った
言葉って面白いよね。
現実の配置は変わっても、“象徴としての名前”だけが生き残る。
これ、会社の仕事でも見る。組織図は変わっても、呼び方だけ残るやつ。あるある。
図で一発:明治新聞のざっくりイメージ
ここからが本題:三面記事の精神は、ブログの原点だ
ここで、ぼくはブログ書きとして思うわけです。
三面記事って、新聞の“脇役”に見えるけど、実は読者と一番近い場所なんだよね。
政治や経済は、言い方は悪いけど「上から降ってくる話」になりがち。
一方で三面は「地面から生えてくる話」。
地味だけど、根がある。
ブログも同じで、
- 権威の解説より、失敗談の方が刺さる
- 完璧な結論より、試行錯誤の方が役に立つ
- 正論より、「あるある」の方が読まれる
これ、冷静に考えると当然なんです。
読者が欲しいのは“正しさ”だけじゃなくて、自分の生活に接続できるヒントだから。
つまり「三面精神」ってこういうこと。
大きな物語の陰で、名もなき人のリアルを拾う。
三面記事がくれる「メタ認知」:他人の事件で自分を見てしまう
三面記事って、読んでるときにちょっと不思議な感覚がある。
他人の話のはずなのに、途中から自分の心の中がザワついてくる。
たとえば詐欺の記事を見たとき。
「うわ、ひどいな」と思う。
でも同時に「自分も引っかかりそう…」って思う。
これがメタ認知です。
メタ認知っていうのは簡単に言うと、自分を一歩引いて観察する力のこと。
三面記事は、他人のドラマを通して、自分の弱点や欲望や不安を映し出す。
いや、便利すぎるだろ三面。
(ぼくはたまに、三面を読んで自己反省して疲れる。娯楽のはずなのに)
現代版「三面」はどこにある? だいたいSNSに落ちてる
紙の新聞の3ページ目、という物理は薄れた。
でも三面記事の精神は、むしろ増殖した。
現代の三面は、たぶんこのへんにいる。
- SNSのトレンド欄
- まとめサイトの人気記事
- 動画のおすすめ欄
- ニュースアプリの「よく読まれた記事」
そして、ぼくらのブログも、そこに並ぶ可能性がある。
だからこそ、ぼくは思う。
「三面」って、怖いけど、尊い。
まとめ:三面記事は“3ページ目”だけど、“本音の最前線”だった
最後にまとめます。
- 「三面記事」の由来は、明治期の新聞で事件・雑報が第3面に載りやすかったから
- 三面は下世話ではなく、生活に直結するリアルが集まる場所
- 人は政治より事件に反応しやすい。これは欠点というより、生活防衛の本能
- 三面精神はブログに向いている。権威より、名もなき人のドラマが刺さる
というわけで、今日からあなたがニュースやSNSを眺めるとき、ちょっとだけこう思ってみてください。
「いま自分は、三面を読んでるな」と。
それだけで、情報に飲まれにくくなる。
三面は人間の本音が漏れる場所。だったら、読んでる自分の本音も、ついでに拾っておく。
小市民は、小市民なりに賢くなりたいからね。




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