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【映画】『大きな玉ねぎの下で』|あの曲で泣いてたオレが、映画でちょっと救われた話

映画・ドラマ

「大きな玉ねぎの下で」って聞くと、条件反射で胸がキュッとなる人、いるよね。
オレはいる。しかもまあまあ重症。カラオケで歌って、うまく歌えた日は妙に切なくなって、うまく歌えなかった日は別の意味で切なくなる。
そんな爆風スランプの名曲をモチーフにした映画『大きな玉ねぎの下で』。
観たあとに残ったのは、失恋の痛みというより、「ああ、こういう優しさ、今のオレに効くな…」っていう、静かな回復感だった。

この記事では、ネタバレしすぎない範囲で、オレ目線の“刺さったポイント”を語ります。
昔この曲を握りしめてた世代にも、これから恋をする世代にも、意外と同じ場所で刺さる映画だったよ。


オレの中の「大きな玉ねぎ」問題(つまり思い出補正)

まず正直に言う。
オレはこのタイトルを見た瞬間、脳内で勝手にBGMが流れた。しかも“あのイントロ”からだ。ずるい。
曲ってさ、思い出のフォルダを無断で開けてくるじゃん。パスワードも聞かずに。
で、昔のオレはそのフォルダの中で、勝手に切なくなって、勝手に一人でしんみりしてたわけですよ。

でもこの映画、方向性がちょっと違う。
切ない。けど、ちゃんと温かい。すれ違う。けど、投げっぱなしにしない。
失恋で聴きたくなる曲を抱えて劇場に入ったオレが、出てきたときは「ハッピーエンド、逆に助かる…」って思ってた。
年齢のせい? たぶんそう。オレはもう、心の回復魔法が欲しい年頃なんだと思う。



一方で、30年前の時代には“文通”という、今だと逆に新鮮すぎるやり取りがあって、そこで育つ気持ちがある。

ポイントはここ。
どっちも「会ってない(会えてない)」のに、言葉だけで距離が縮まっていくんだよね。
顔も知らないからこそ素直になれる。
でも、素性を知らないまま近づくって、同時にちょっと怖い。
この“優しさと怖さの同居”が、オレには妙にリアルだった。






刺さったところ①:連絡手段が“遅い”から、気持ちが育つ

今って、返信が速いのが正義みたいな空気あるじゃん。
既読が付いたのに返ってこないだけで、心がソワソワして、最悪ちょっと被害妄想が育つ(オレだけじゃないはず)。

でもこの映画が描くのは、真逆の世界。
ノートや手紙って、基本的に“待つ”がセット。
待つ時間に、勝手に相手のことを考えてしまう。
考えるから、気持ちが少しずつ形になる。
この「遅さ」って、効率重視の社会だと欠点扱いされがちだけど、恋には必要な“間”だったりするんだよね。

小市民的な話をすると、オレはここで反省もした。
仕事のメールみたいに、心まで最短距離で送りたがってたかもしれん。
気持ちって、最短距離だと雑に届くときある。遠回りのほうが丁寧なときもある。
うん、耳が痛い。







刺さったところ②:すれ違いが、ちゃんと“痛い”

恋愛もののすれ違いって、たまに「いや、そこで一言言えば済むだろ」ってのもある。
オレは昔、そういう作品でツッコミ側に回って、心を守ってたタイプ。
だってツッコんでたら泣かずに済むから。

でも『大きな玉ねぎの下で』のすれ違いは、割と厄介で、割と現実的だった。
相手のことを思って黙る。
黙った結果、誤解が育つ。
誤解が育った結果、言えなくなる。
これ、日常でもあるやつ。家族でもあるやつ。職場でもあるやつ。
つまり、刺さる。

しかもこの映画、すれ違いの“痛さ”をちゃんと見せるのに、必要以上に意地悪しない。
観てる側を、ただ苦しめる方向に振らない。
「痛いよね」って言ったあとで、「でも、まだ間に合うかもしれない」って灯りを置いていく。
オレはこのバランスが好きだった。







刺さったところ③:二世代で観ると、会話が増えるタイプの映画

ジュンさんのメモにあった「父親の時代が俺らと重なり、主役時代が子供たちと重なるのかな」という感覚、これ、かなり当たってると思う。
この映画って、若い恋の瑞々しさもあるけど、同時に“時間が積もること”の重みもある。

親世代は、手書きのやり取りに「あー、分かる」となる。
子ども世代は、逆に「え、ノートで恋?」って新鮮に感じる。
でもどっちも、結局は同じところに着地する。
言葉って、ちゃんと届くと人を救うんだよね、って。

で、ここが小市民的にうれしいポイント。
親子で観たあと、感想がズレてもいい。むしろズレたほうが面白い。
「なんでそこで言わないの?」って子どもが言って、親が「言えないこともあるんだよ」って返す。
この往復が生まれたら、映画代の元、取れてる。





オレが「ハッピーエンドでよかった」と思ったワケ

原曲の空気って、どこか“会えなかった切なさ”が残るじゃん。
だからオレは、映画もそのテンションで来るのかなと思ってた。
そしたら、ちゃんと温かい方向に転がしてくれた。

若いころは、切ない作品を観ると「うわ、人生…」って浸れた。
でも今は、切ない作品を観ると「うわ、明日も仕事…」って現実が同席してくる。
つまり、回復が必要。
この映画は、切なさで心を揺らしておいて、最後は“戻れる場所”を用意してくれる。
オレみたいな年代には、これがありがたい。

ハッピーエンドって、軽いって意味じゃないんだよね。
「ちゃんと向き合った結果としての明るさ」って、むしろ強い。
観終わったあと、気持ちが少し整う。
それだけで、もう十分に良い映画だった。


ちょっとだけ注意点(合わない人もいる)

良いことばっか言うと胡散臭いので、小市民らしく注意点も置いとく。

  • テンポは派手じゃない。 ドカーンと盛り上げるより、じわじわ染みるタイプ。勢い重視の人には少しゆっくりに感じるかも。
  • すれ違いが“もどかしい”。 ここが魅力でもあるけど、イライラしやすい人はツッコミたくなる瞬間があると思う。
  • 名曲への思い入れが強すぎると、最初は比較しちゃう。 ただ、比較しても最後には「映画は映画で好き」って落ち着ける可能性が高い。

逆に言うと、ここが許容できる人には、かなり刺さりやすい。





観終わったあと、オレは結局どうなったか

観終わってすぐ、あの曲を聴き直した。
で、昔みたいに“失恋スイッチ”が入るかと思ったら、ちょっと違った。
切ないのは切ない。だけど、心の中に「まあ、会える時もあるしな」って余白ができてた。

これって、たぶん映画がくれた余白なんだよね。
過去の自分の切なさを、否定せずに、でも上書きもしすぎずに、隣に座らせてくれる。
思い出って、消えない。消えないなら、抱え方を変えるしかない。
その“抱え方の更新”を、そっと手伝ってくれる映画だった。




まとめ:この映画は“切なさの扱い方”がうまい

『大きな玉ねぎの下で』は、名曲の余韻を借りながら、ただの懐メロ映画にはなってない。
会えない切なさ、言えない不器用さ、待つ時間の長さ。
そういう“しんどい要素”をちゃんと入れてくるのに、最後は人の心が戻れる場所を残してくれる。

若い人には「言葉の恋って、意外と強いじゃん」と刺さるし、
オレら世代には「昔の切なさ、今の温かさで包めるかも」と刺さる。
つまり、二世代で観られる。ほんとに。

そしてオレは今、カラオケであの曲を歌っても、たぶん前より少しだけ楽に息ができる。
…まあ、音程は相変わらず怪しいけどな。

参照:大きな玉ねぎの下で(映画.com)



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